地鎮祭,そして上棟式
今回は建設,施工編です。
前回プランの話で,最終決定案が定まりました。
ここまで土地を取得してからおよそ1年が経過しています。
工事の時間まで含めるとおよそ1年半の計画です。
建築家物件としては一般的な長さではないでしょうか?
これは工務店からの提案です。
我が家はやる気が満々でしたが(仕出し屋とかも探していました)
地鎮祭は神主さんとの都合が折り合わず,先延ばしになるのを嫌った工務店が
略式でやりましょうと提案してきました。
上棟式は週間予定表に記載されておらず,工務店に日取りを訪ねてみると、
数日後にやりましょうと言われ,焦りましたが,
地鎮祭と同じく略式でやりましょうと提案を受けて,略式で取り行いました。
ご祝儀も差し入れも仕出しも工務店からは「気遣い無用」との言葉を受けて,迷いましたが,差し入れだけをしました。
手間がかからなかった点はとても助かりましたが,割とさっぱりしている工務店と設計事務所なのでお礼を表明するタイミングがなくて少し困ります。
施工に関しても施主施工はあまり受け入れてくれない雰囲気があるので,さっぱりしたところがあるんでしょう。
とはいえ,真摯に取り組んでくださっています。
地鎮祭で思い出深いのは,当日に母が亡くなったことです。
この出来事を書くか迷いましたが,大きな出来事だったし,後々にこのブログを見返したときなどにいろいろ思うことも出てくるかもしれないので,自分語りで申し訳ないですが書かせてください。
母は長い期間病に臥せっていました。私が子どものころから臥せっていましたので数十年になります。
我が家の実家は母の病とともにあったとも言えます。
長い闘病にありましたが,あまり病気のことについて聞いたことはありません。
どことなく聞いてはいけない雰囲気がありました。
実家は家事をすべて母がやっていた家でしたので,倒れてからは家事も家のこともままならなくなりました。
最終的には私も家事もすべてできるようになりましたので,良い部分もありましたが,そのほかにもゴタゴタがあったので、家庭らしい家庭の記憶はほとんどありません。
私が家に求めることは安心できる空間であることとともに家族で一緒に楽しむことができる家かもしれない。
そんなことを感じました。
実家は長いことひっくり返っていましたので,「家」については普通より知らないことが多かったり,無頓着な部分が多かったと思います。
家づくりをしてきて長い期間いろいろ振り返るうちに本当にいろいろなことを思い出し、気づきがありました。
これまでの人生を振り返る機会になったことはよかったですし,必要なことだったと思います。
ですが,母が亡くなったのは予想外でした。
とても完成を楽しみにしてくれていて、長引くなか、まだかまだかとせかされたものでした。
体は弱かったですし、歳も歳だったのでいつそうなってもおかしくはなかったんです。
しかし、ずっと闘病が長かった分どこかで,大丈夫なんじゃないかと高をくくっていたのかもしれません。
ハウスメーカーの家づくりであれば,完成した我が家を母に見せられ、安心させられたんじゃないかと思うと後悔が絶えません。
建築家との家づくりで最も後悔した点はここです。
期間がかかるデメリットが最大に出たと言えます。
今は受け入れていますし,良かった点のほうが多いので,全体を取っての不満はありませんが,こういうこともあるということで。
完成した時には,竣工後撮影した写真を母の墓前に供えたいと思います。