体験的住居
今日は家族関係と建築の話
ルイスバラガンは,「家は魂の安息所」と言った。
魂の安息する家とは何だろう。
安らかに眠れる家のことだろうか。
いや、それは体の安息を得られるだけだ
体の安息を求めるならば快適なベットがあればいい。
日本の郊外の街は長い間ベットタウンと呼ばれてきた。
寝に帰る街というわけだ。長い通勤や娯楽の少ない地方を皮肉した言い方だが、都会の住宅は違うのだろうか?
ギリギリまで街で遊び、寝に帰る。
そのギリギリが違うだけで、家ではテレビとベットしかないならばかわりはない。
建築家の宮脇檀は都市型住宅の素晴らしさを説いたがそれは創造的な住宅があってこそだ。
外で遊びたい、まだ帰りたくない家なんて安息の場ではないではないか。
建築家の保坂猛氏はこう言った。
「古代ローマ人がヴィラでの生活の理想とした5つの要素(学問、入浴、演劇、音楽、美食)を、この17.71m2の小さな家で実現させたいと考えた。」
その小さな住居を見て、寝に帰る家とは、誰も見ないだろう。
大きさなんて関係ない。
建っている場所だってなんとでもなる。
大きい家でも小さい家でも、生き生きとした家はどこでだって家族を受け入れる。
おそらく,一つのものでは安息は成り立たないのだろう。
長くなったので続く。